考えごと

アトリエ通常営業中です

2019.11.08槇島 藍

オープン・アトリエの後片付けもひと段落して、やれやれほっと一息。コーヒーやお茶を飲みつつ、通常営業です。倉庫の住人の毎日はしみじみ楽しいのですが、お祭りだと、なかなか素のオモシロ部分って見れないですよね。昨日は某画家さんが展覧会用の作品搬入が終わった瞬間、ジャンプしながら「わーいわーい!」とマンガのように小躍りしていました。ほかのアトリエでは納品前でバリバリ作業していたり、来客があったり、かっこいいサンプルつくっていたり。多方面に活躍して頑張っているので、こちらも自分の持ち場のアトリエで頑張る気持ちでおります。11月10日(日)まだ教室空きがあります。晴れていれば日中は暖かいので、よろしければ是非おこしください。

近況・秋がずっと続いてほしい。

2019.09.28槇島 藍

アトリエが夏をこえて過ごしやすくなり、描いたり考えたりする時間がのびました。

自分はどう転んでも自分以外のタイプにはなれないのですが、この場所で生きてるため、とんがったり、「なんだ?」と思うような表現、美術表現のあらゆる多様性の機会が喪失してしまうかもしれない、ことに絶句します。

「絵の具、きらい」「描きたくなーい」という小学生の前で、いちいち視界が暗くなったり、ウツウツとなったり、ちょっと前の自分はなっていたのですが、いまは0,1,2のコンマで頭振りあげていきます。さながら柔道の受け身のごとく「(バンっ)はいっ!じゃあ苦手に思うことはどのへんかな!?お片付けかな?うまくぬれないのかなー」と。

草の根レベル、ですが、小さいとこからコツコツと。そして個人的なことですが、できれば制作、教室に最適な秋の期間が長く続いてほしい。

長野県木島平村と野沢温泉村

2019.08.13槇島 藍

長野県の木島平村に中学校で教わった美術の先生が住んでいて、たまたまご縁があって再会できて、アーティスト・イン・レジデンスのときにお世話になりっぱなしでした。

先生の本棚でみつけた佐藤忠良と安野光雅ほか数名の編集でつくられた「少年の美術1.2.3」という現代美術社から出ている中学生向け美術教科書がずっと気になっていて、絶版になっているのを今回お借りすることができたので、この夏のお休み中に何度も読んで、自分の制作に関して、アトリエ・アオについて、よく考えてみようと思っています。

三つ子の魂、百まで。なので、中学生の頃に受けた美術教育と美術部での活動。私はそこに自分の表現のルーツ、根っこ、があると思っています。クロッキーが好きなのも、人や自然の風景が好きなのも、ふるくて、現代の美術に対応できるのか、とか、それをどうにかして伝えるには、とか悩みはつきないですが。先生と会って話すと自分にとっての疑問や思ってることを、聞いてもらえるので、気持ちが新たになるし、今回は「目を鍛える」「目をつくる」など美術教育の意味を長年の経験からばんっと出されていて、うわっとなりました。

野沢温泉村ではおぼろ月夜の館斑山文庫での「にしもとおさむ展」のワークショップを見学させて頂きました。すごくすごくよいご縁があって、長野とまたつながれたら、嬉しいです。

写真は大好きな中町展示館の横の神社。

アートとエンターテイメントの違いについて(抜粋)

2012.09.04槇島 藍
現代美術作家の祐成政徳さんという方を勝手に心から尊敬しているのですが、2009年に発行されたトークスクエアという小冊子(社内誌なのかな?詳しくなくてすみません)でインタビューをうけていて、最後のアートとエンターテイメントの違いについて、本当に、この方の言葉は自分の心や身体のコアの部分にするするはいってくので、抜粋します。無認可で恐れ多い、、、あんまり見る人のいない自由帳なのでお許しくださいませ。

(以下、抜粋)

以前、僕はアートとエンターテインメントの違いを考えたことがあります。何だと思いますか? 例えばエンターテインメントを代表するスピルバーグの映画。それは「ジェットコースタームービー」なんて評されます。映画館のいすに座っているのに、まるでジェットコースターに乗っているみたいにハラハラする。そこには、スクリーンの側、作り手の側から一方的にベクトルが向けられ、観客はそれをただ受け入れている状態です。でも、アートではそのベクトルが相互方向を向いているのだと思います。もしかすると、作品がこちらを向いてくれないかもしれないし、指されていても気がつかないかもしれない。そこで鑑賞者が歩み寄ることによって、作品の内容が広がってくるんです。
アートはよく小難しい、つまらないなんて敬遠されますが、そこを一歩踏み込んで、見ているあなた自身も関与できるからこそ面白いと思うんです。作品と鑑賞者の間に関係が生まれ、それが作品となる。つまり、スピルバーグの映画のどこにもあなたはいないけれど、アートにはあなたがいる。いい作品には、間口があります。開かれていて、そこに入っていったときにあなたとの関係性を見出す可能性をもっている。そうやって鑑賞者と作品の関係を閉じていないことが美術作品の条件だと思います。

本文テキストここから。
→http://www.nsc.co.jp/monthly/pdf/2009_7_190_07_10.pdf

制作について

2012.08.24槇島 藍

お引っ越しして、毎日冒険してるような時間がすぎて、ネットがやっと開通しました。
もう処暑で夏が終わって秋になるなんて。信じらんない・・・

制作について、この夏の「マテリアルとはなんぞや?」の課題について、なんとなーーーくのもんやりしたとこから、いまだ言語化できないけど、「こういうことじゃないか、なぁ」の見当がつけられそうです。ものすごく時間がたたないとことばで考えること、できなさそう、、、なので続行して考えつつ手を動かします。

ものつくりをしている人は、自分以外のものつくりの展覧会や展示会にしばしば足を運ぶと
思われますが、素晴らしいしごと、うつくしいわざ、には、エネルギーがあって人の組成を変えるのだと思う。

しんしんとがんばりたいと思います。

マテリアル

2012.07.02槇島 藍

マテリアル:素材 についてこの夏考えていこうと思います。

以前震災前~震災後の時期に現代美術館でやった淺井裕介さんの連続ワークショップ「根っこの森」で消えてしまう素材に絵を描くことでおおきな作品をつくり、その自由さに胸がすくような思いがしました。

自分にとってキャンバスの支持体プラス油絵の具というやり方がいちばん手になじむのだけど、マテリアルから自由になるのは、どういう方向があるのか、考えていきたいのです。

たとえば急にガムテープやアルミホイルの素材でなにかをつくる方向ではないけれど。
日本画や油絵の顔料が美しいのは、心底そう思う。
ただ、美しい素材をつかった美しい絵画です、っていってる時点でマテリアルに完全に支配されてるというか、ダイヤモンド>顔料>紙 みたいな概念でずっとこれからもやっていける気がしてこないのです。


じゃあ自分にとって素材ってなに?
とあくまでもひとり相撲というか自分で考えていくことしかできないのですが、暑い時期の宿題です。欲を捨てたいわけでも悟りたいわけでもないけど、大人になってどうしても物質を得ることばかり考えてしまうのって、この自分にとってのマテリアル問題にヒントがあるような気がするのです。

ねがいは「普通」

2012.06.21槇島 藍
「若き芸術家たちへ(ねがいは「普通」)」中公文庫
佐藤忠良 安野光雅

それにしてもこの副題最高にいいな~と思ってたら、もとは原題で、
改題して芸術家を目指す若い人に読んでもらおうと目論でのこと、らしい。

佐藤忠良の話し言葉が落ち着くし、「爆発だ!」っていわなくても芸術とは
なにかを真摯に伝えようとしてるのがとてもよい。
巻末で安野光雅が美しいとはなにか?に明確な考えを論じてるのも面白い。

普通であることや、極端であること、そのどちらも浅薄にみえる表現ばかりにみえて、
というか、ほぼ自分の身も心も「うっすいな~うわっつらだな~」と思う毎日ですが、
そこから抜け出したい思いや問いに関するヒントがたくさんこの本にある気がしました。